文鮮明師 講演文

「平和の根は真の愛に」

「平和の根は真の愛に」

文鮮明師 講演文
"In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the word was God." John1:1

「平和の根は真の愛に」

(02.02.15 WCSF2002開会式 ソウル・ヒルトンホテル)


 2002世界文化体育大典(WCSF2002、主催、同組織委員会)の開会式が、二日目の二月十五日、ソウル・ヒルトンホテルで行われた。
 開会式には同大典を提唱した文鮮明師夫妻、世界十カ国の大統領・首相経験者、韓国の与野党議員八人はじめ、世界百八十六カ国の各界指導者約千人が参加。

 文師は「平和の根は真の愛に」をテーマに創始者講演を行い、「真の愛は無条件に与える愛だ」としながら、「このような真の愛の土台の上に平和が築かれる時、その平和は真の平和となり、自由と幸福までもついてくる」と力説した。

 その上で真の平和を実現するために必要な条件として、?@心と体が完全に一つになった完成人間となる?A互いの人権を尊重していかなる状況でも他人の人権を蹂躙(じゅうりん)しない?B真の愛の花が咲く真の家庭をつくる?C公金を着服せず環境を破壊しない-の四つを提示した。

 開会式は、米ユナイテッド・ペンテコステ教会のジェシー・エドワーズ師の祈祷で始まり、ワヒド前インドネシア大統領と韓国の南宮鎮・文化観光相が祝辞を述べた。南宮氏は、「大典が成功裏に開催され、人類の念願である和解と許し、平和定着に大きく貢献する機会となることを心から願う」と語った。

 文師の登壇に先立ち、夫人で同大典の共同創始者でもある韓鶴子総裁が、結婚以来四十二年間傍らで見た文師は「朝から晩まで、ひたすら神と人間の間の壁を取り除こうと率先垂範してきた」と紹介し、大きな拍手を浴びた。

 文師の演説後、正義と平和のためのエレノア・ルーズベルト研究所のニコラス・キトリー博士が自ら呼び掛け人となって文師を今年のノーベル平和賞に推薦すると発表した。

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 今日、お招きした高名な皆さん方も妻がおり、家庭があり、また夫婦で参加された方もおられます。私もこのような妻を持ったことをこの上なく光栄に思います。夫のため誇らしい紹介ができる韓国の女性、韓鶴子総裁が(私の)妻であるという事実。(私への)悪口をたくさん聞きながらも、背後で私を支えながら苦労して、未来の希望に満ちた世界に前進するために、後援者となってくれた立派な韓国の妻がいるという事実。

 神の前に長く長く残さなければならない父母の伝統、夫婦の伝統、子女の伝統をたてなければならない神のみ旨を奉り、文総裁の行く道は血しぶきの道、十字架の道でありましたが、長い年月を過ぎてみれば、現在、すべての世界の家庭の心の中で、神様の共助と保護の下で(それが)なされました。そのすべての栄光を神様の前にお返しするこの時となることを祈念いたします。ありがとうございます。

 尊敬する議長、世界各国から来られた元・現職の国家元首、そして内外貴賓の皆さま。

 希望にあふれる新千年の二年目の年を迎え、私の愛する祖国、韓国の地で開催される世界文化体育大典(WCSF)をこのように盛大なものとしていただき感謝いたします。

 人類は、いま歴史上のいかなる時よりも急速度で変化する時を迎え、歴史上のいかなる時よりも宗教間の対話、人種間の和解、そして文化間の理解が切実に必要であることを皮膚で感じています。

 そのため、今回のWCSF2002の主題も「新しい平和の世界文化に向けて」に決定されたと思います。

 私はこの大会の創始者として、きょうこの場を借りて、私が生涯を通して信じ実践し教えてきた平和思想の一端を皆さまと分かち合うことによって、創始者のメッセージに代えようと思います。


 まず神様と霊界を知る

 内外貴賓の皆さま。

 私たちが切実に願い叫んできた平和の根本は何だと思いますか。どこでどのようにすれば平和を獲得することができ、何が人類の平和を妨げている障害物なのでしょうか。

 極度の個人主義と利己主義が蔓延(まんえん)している今日の混乱した世界において、果たして私たちに平和世界を成就することができる希望はあるのでしょうか。

 平和の根本を知ろうとすれば、神様の創造理想を深く探ってみなければならないはずです。まず神様と霊界を知らなくては平和を実現することはできません。

 創造主である神様の真の愛の実体化がすなわち天地創造であり、その世界の主人として創造された人間は、神様の創造理想、すなわち創造本然の世界である地上天国をつくって暮らした後、霊界に行っても永遠の平和天国をつくって暮らすようになっているのです。

 地上において、平和世界である地上天国を創造し暮らしてみることができなければ、霊界においても、そのような世界は期待することができません。

 ここで言う天国とは宇宙万象と人間、そして人間と人間がお互いに「ため」に生き、一つになって調和統一を実現して生きるところを言います。

 しかし、人間始祖の堕落によって神様の創造理想は無残に挫折し、今もってその完成をみることができずにいるのです。神様と人間の関係が父子の関係であることさえも分からない無知の状態に陥ってしまったのです。

 堕落の結果世界である今日の現実を見てください。平和と幸福の歌があふれるべき家庭が背信と離婚でばらばらになり、父母の温かい愛の下で未来の夢を抱いて無限に伸びていかなければならない子女たちは、挫折と失望の中で巷(ちまた)に飛び出していき、酒と麻薬の奴隷となり、揚げ句の果てにはフリーセックスに心身を投じるという途方もない現実を目撃するようになります。

 民に責任を持ち国運を両肩に背負った為政者たちの姿からは何を見ますか。国家の将来や国民の安寧よりも、自分たちの権力維持に血眼になっている者たちを多く見るようになります。

 国家と国家の間にも、理解と平和がなければならないところに、不和と葛藤(かっとう)そして戦争だけが猖獗(しょうけつ)を極めている今日の現実ではありませんか。人類平和文化定着の道がふさがれてしまったのです。

 したがって神様はどのようなことをしてでも、本来計画された真の愛と平和の理想を再び探し立てる救援摂理を展開せざるを得ないようになったのです。神様の救援摂理は原状回復の摂理、すなわち復帰摂理です。

 このような復帰摂理のために、神様は、歴史を通して時代と伝統、そして文化に従って各々異なる宗教を立てられ、善の版図を広げてきたのです。


 神様王権即位式を奉献

 いち早く人類救援の天命を受けた私は、全生涯を通して言い表すことができない迫害と苦難の路程に勝利し、ついに二〇〇一年一月十三日「神様王権即位式」を奉献しました。人間始祖の堕落以後、数千年間耐えて待ってこられた神様に、心情の解放とともに王権を探し立ててさしあげたのです。

 その基盤の上に、今は、霊界と肉界が一つになって自由に行き来できる時代が開かれました。霊界が私たちと共に呼吸しています。

 イエス様の十二弟子はもちろん、四大聖人までも、私が人類の真の父母であり、メシヤであることを証しするメッセージを送ってきています。

 このように、二つの世界を分けていた壁が完全に除去されました。今からは、天道に従わなければ生きることができない時代へ入ってきているということを、皆さんの前に宣言します。

 今や人類は神様を一代の父として侍り、完成したアダムとエバの位置で二代圏を立てて夫婦を築き、父母となって子女を繁殖することによって三代圏まで完成して暮らす真の家庭を探し立てなければならないはずです。

 その道だけが、罪がなく自由と平和と幸福が充満する世界をつくって、神様の直系の血統が子々孫々永遠にこの地上に繁栄することができる道だからです。

 このように、神様を知り、霊界を確実に知るようになれば、平和を実現することができる道が見えるのです。


 独りで平和ならず

 皆さん、平和の意味は何ですか。一言で平和とは、人間関係において主体と対象がお互いに一つとなって水平をなすことを言います。しわ一つない平らな完全均衡状態のことをいいます。漢字から解いてみれば、「平」は水平を意味し、「和」は調和と和解を意味します。

 このように平和とは独りでなす「独平」ではありません。独りではいくら努力しても幸福になることができないのと同じです。上下関係、左右関係、そして前後関係がすべて調和して、どの一方にも偏ることなく、いっぱいに満たされて充満し、円満であることを備えてこそ、真の平和が来るのです。

 縦横と前後左右で完全な立体的軸を立て、お互いに絶対相応する調和の世界が平和の世界です。虹の七色を回せば調和と平和を象徴する白色となるように、平和は、すべての条件と状況が一個所に融和し調和した姿の純粋な白色です。

 すべての方向が一点で完全に調和すれば、自動的に平面性を超越して立体性を帯び、球形運動を通して永続性を持つようになります。人類の恒久的な平和はこのようにして成就することができるのです。

 しかし、平和は独りで存在するものではなく、その根を真の愛においています。自由と幸福の根が真の愛にあるように、真なる平和も真の愛を実現することができなければ成就することができないからです。それでは、真の愛とはどのような愛ですか。一言で、与えても忘れてしまう、条件なく施す愛です。犠牲的な愛です。

 父母が子供を生んで養育しながら施す愛に何の条件もないのと同じように、真の愛は無条件に与える愛です。怨讐(おんしゅう)までも許して施す愛です。与えてもまた与える愛です。条件なく施すものなので、与えたというその事実さえも記憶しない愛です。無限に与える愛です。神様が人間を創造される時に施されたものが、まさしくこのような愛なのです。

 したがって、真の愛の根源は神様にあります。まさにこのような真の愛の土台の上に平和が立てられるとき、その平和は真なる平和になるのであり、自由と幸福までも伴うようになるのです。


 心と体を完全に一つに

 それならば、私たちが真なる平和を実現する姿として備えなければならない条件とは何でしょうか。第一にまず、皆さんの心と体の関係について考えてみてください。対象格である肉身は、主体格である心が志向する通りに百パーセント従わなければならないという天理です。

 いつどこで、いかなる状況に置かれても、私たちの体は、心の前に絶対対象の立場で完全に一つとなって動じ静じなければならないというのが天が下さった法度です。したがって、このように心と体が完全に一つになった人間こそ、完成人間になるのです。神様が本来願われていた人間の姿こそ、まさしくこのような真なる人間でした。神様を実体の父として侍り、苦楽を共にすることができる人間が、まさにそのような真なる人です。

 しかし、私たちの生活を少し深くのぞいてみるだけでも、私たちは自らの姿がこのような真なる人間の姿からどれほど遠く離れているかということをすぐに感じることができるのです。

 神様の息子娘と呼ぶにはあまりにも恥ずかしい自分たちであるということを悟るようになるはずです。心が元なのですが、体が従ってくれない時がどれほど多く、良心の呵責(かしゃく)を感じながらも、肉身の欲望の奴隷となって本意でない失敗をした時がどれほど多かったでしょうか。

 したがって、どのようなことがあっても、私たちは真の愛の実体である心と体が完全に統一された姿とならなければならず、自らを完成段階まで引き上げなければなりません。天と地の前に一点の恥ずかしさや一寸の影もなく、「天のお父様」を叫ぶことができる真なる人にならなければなりません。

 そのようにさえなれば、私たちは天の父の真理と愛を発する永遠の発光体の姿となって、地上での生を終えたのち、霊界でも神様の親子となった聖子の姿として永遠に生きるようになるはずです。


 力の支配時代は終わった

 第二に、私たちは社会や国家といった共同体の一員として、真の愛の実践である「ために生きる生活」を通してお互いの人権を尊重し、いかなる状況でも他人の人権を蹂躙(じゅうりん)する愚を犯してはなりません。世界の五色人種はみな同等な価値を持って生まれました。人種に関する限り、神様は色盲です。  人種差別や宗教的葛藤、そして国粋主義は、人権蹂躙の原因をもたらします。

 力で支配する時代は終わりました。二十一世紀は共に生きる超人種、超国家、超宗教の時代です。真の愛が支配する時代が開かれたということです。

 世界の指導者の皆さん、イエス様も「私は仕えられるために来たのではなく、仕えるために来たのである」(マルコ十章四十五節)と言われました。世界平和を実現する道は別のところにあるのではなく、「ために生きる生活」の天道を実践するところにあるということを明らかにされたのです。平和の根は真の愛にあると言われたのです。

 したがって、私たちはみな真の愛の根源であり主人であられる神様を信じ、天理に従う正道の道を歩まなければなりません。そのような人には天運が共にあるはずであり、万事が思い通りになるはずです。

 どうか、心と体の統一によって人格完成を成就し「ため」に生きる生活の実践を通して、皆さん各自の心の中に平和の基地を定着させるよう願います。

 私たちが怨讐までも許して「ため」に生きる生活を実践するとき、小さくは個人から、大きくは世界まで、平和文化を成就することができるようになるのです。

 それで、昨年私は「天一国」の開幕を天上天下に宣布しました。天一国とは、二人が一つになって生きる世界のことをいいます。

 小さくは個人の心と体が一つになって個人として完成体となることであり、大きくは夫婦が一つとなり、父母と子女が一つとなって、三世代を通して家庭を一つにしなければならないことはもちろん、全人類が神様の下で一つの兄弟姉妹として苦楽を共にすることができる世界を創建しなければならないことを言います。

 このように、神様の創造本然の世界である天一国の安着のために、すでに私は一万人以上の平和大使を全世界に派遣しています。

 私はまた国連本部において、世界のすべての国境を撤廃しなければならないと主張したのであり、国連に最終議決機関である超国家、超人種、超宗教的機構を置き、世界的に名望の高い宗教的指導者たちが平和世界創建の先頭に立たなければならないと促したのです。


 家庭は最高の贈り物

 第三に、私たちは真の愛の花が大きく咲き開いた真の家庭を立てなければなりません。家庭を築くにおいては、男性女性に関係なく、独りでは築くことができません。真の愛で完成した男性と女性が夫婦の因縁を結び、子供を生んで育てるとき、その家庭は真なる家庭となって、自動的に平和が宿り、幸福があふれるのです。

 子供たちは、父母が結んであげる配偶と出会って夫婦となる時まで純潔を守り、夫婦となってからは貞節を守り、父母に似た二代目の真の家庭を築くようになるはずです。

 このように、真の家庭によって連結される真の血統が三代まで連結されさえすれば、神様はその家庭に安着されるようになり、人類があれほど願ってきた世界である地上天国が成し遂げられるはずです。

 そのような真の家庭の拡大版がまさしく地上天国であり、天上天国であるのです。その世界は共生共栄共義共愛の世界であり、みな共に兄弟姉妹となって、共に暮らし、共に繁栄し、正義の世界を立てて、お互いがお互いのために生きて愛する平和世界となるはずです。

 このように、家庭は大切なものです。家庭こそ、神様が人間に下さった最も貴い贈り物です。それで、人類の平和と幸福の基本単位も家庭であり、地上天国を成す基本単位も家庭であるのです。

 いくら個人が完成したとしても、家庭を成してその真なる血統を伝授してあげる子供がいなければ、彼はただ一代で幕を下ろさざるを得ないようになるからです。

 このような神様の創造目的の見地からみれば、今日、世界の至る所で毒キノコのようにわき出ている同性愛の風潮は亡国の種の現象と言わざるを得ません。人類を教え導き、責任を持たなければならない指導者であられる皆さんは、この点を肝に銘じなければなりません。

 天が下さった真理を信じ受け入れたならば、何の恐れることがあるでしょうか。

 天の真なる血統を破壊し、人類の平和はもちろん、私たちの生存までも脅かしているフリーセックスと同性愛のような病弊を根絶するために先頭に立たなければなりません。葛藤と憎悪の輪に縛られているこの世界に、平和文化を定着させる先駆者の役割を果たしてくださるようお願いいたします。


 公金・環境は不可侵

 第四に、私たちはみな、社会と国家の指導者として、いかなる状況においても公金を略取したり、着服する行為を禁じなければなりません。

 小さくは公的財物や公的資産に手をつけてはならないことはもちろん、大きくは私たちの生を可能にし、潤沢にしてくれている環境を破壊する行為を根絶しなければなりません。公金を着服して子供に与えることは、毒薬を与えることよりももっと恐ろしい行為です。

 そして、ここで言う環境破壊とは、自然環境の破壊による各種環境汚染と毀損(きそん)、そして自然枯渇はもちろん、私たちの共同生活を提供してくれる社会環境の破壊も含まれます。

 神様は人間を創造する前に環境を先に創造されたのであり、私たちが神様のみ旨に合うように環境をよく治め、環境と共に楽しく生きることを願われたのです。

 したがって、私たちは、地上の草一握り、空の雲一点を見ても天の前に感謝することができる真の人となって、各種公害を退治するにおいて先導者的役割を果たさなければなりません。

 神様の創造本然の世界を探し立て、その前に謙虚な心をもって生きなければなりません。自分を生んでくれた父母はもちろん、周囲のすべての人にも感謝する心をもって生きなければなりません。そして、自分が生きているというそれ自体に対しても、常に感謝する心を忘れてはなりません。

 今回の期間、真摯(しんし)な討論と研究を通して、人類平和増進に寄与することができる皆さんとして生まれ変わるようお願いいたします。

 ありがとうございました。

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